2006年12月15日金曜日

詩と火曜日


ゼミ室へ。
ここのところ毎日のように(ように、というか毎日)ゼミ室にいる。
でも白状していいだろうか。
実はよけいなことをしている時間がとても長い。
のけぞってイスをぐらぐらさせたり。
窓のほうにいって和地山公園をながめてみたり。
ほんと落ち着きがない。
やらねばならぬことはあるのに、私のスイッチは入りにくいうえすぐに切れる。

もやもやする。

ゼミ室でひとりのとき、ときどき詩集を読んでいて、声にだしてみたりもする。
(隣にきこえてないかちょっと心配でもある。)
詩って私には意味の分からないことが多いけど
ときどき「これはいい」っていうことばやことばの運びがでてくるからおもしろい。
最近わかったのが、声にだして読むのはすごくいい、ってこと。
ときどき詩のもつイメージがみえたりする。
気持ちが同調したりする。
そんな気がするだけかもしれないけど、すごくいい。

『新編 宮沢賢治詩集』からふたつ(の一部)。
この森を通りぬければ
みちはさっきの水車へもどる
鳥がぎらぎら啼いている
たしか渡りのつぐみの群だ
夜どおし銀河の南のはじが
白く光って爆発したり
蛍があんまり流れたり
おまけに風がひっきりなしに樹をゆするので
鳥は落ちついて睡られず
あんなにひどくさわぐのだろう

(「この森を通りぬければ」一部)

   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲は来るくる南の地平
そらのエレキを寄せてくる
鳥はなく啼く青木のほずえ
くもにやなぎのかっこどり
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲がちぎれて日ざしが降れば
黄金の幻燈 草の青
気圏日本のひるまの底の
泥にならべるくさの列
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
雲はくるくる日は銀の盤
エレキづくりのかわやなぎ
風が通ればさえ冴え鳴らし
馬もはねれば黒びかり
   (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

(「青い槍の葉(mental sketch modified)」一部)

なぞろうとするとそのまま通り過ぎていく。
のみこもうとするとただの文字の並びとなる。
声にだすと、なんでかしみこんでくることがあるんだよなあ。不思議なことに。
そういうふうに感じる、というだけでうまく説明できないから
えらそうなことは言えないけども。






2 件のコメント:


  1. はじめまして…

    感性に惹かれて、
    思わずコメントしてしまいましたm(__)m

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  2. >ssd-clinicさん
    コメントありがとうございます、こんにちは。

    宮沢賢治ってすごくいいです。
    なんだか今さら、という感じですが言います。すごくいい!
    今までなんとなく敷居が高いような気がして
    あと詩集読んでる、とかいうのがはずかしくて
    あんまり近づけなかったんですが
    そういうのはもったいないって思いました。

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