2006年12月15日金曜日

実録・外道の土曜日


ゼミ室に行った。
(この先「ゼミ室に行った」というだけの日記がふえると思う。
なぜそんなことが分かるかというと今書いているのは
約三週間前の日のことだから。)

この日のあたりから、私の中できき湯(入浴剤の名前)ブーム到来。
小袋でちまちま買っていたのをついにボトル買い。
ぶくぶく発泡してきもちいい。
いま書いててまちがえそうになったんだけど
「発砲してきもちいい」っていうとそれはまたえらいことだね。
まあそんなことはどうでもいいよね。

家で『実録・外道の条件』/町田康を読み終えた。
少しずつ読んでいた本。めちゃくちゃわらえる。
ひねくれぐあいが最高だと思う。
ばらばらばらっとおもしろく読んでいくんだけど、
いつの間にかひっかからなくなった、
分かっているようで本当は分かっていない言葉を
思い出したりもする。
俺には俺の、他の人とは違う際だった才能があるのだ、したがって世間の個性のない奴らと同じ仕事など阿呆らしくてできん、俺は俺の個性を遺憾なく発揮できる仕事をする、などと嘯き、そこでみながみな思いつくのは、冒頭に申し上げた、エンターテイメント関係の仕事、これだよこれ、と個性的な人々がこぞってエンターテイナーを目指すのであるが、考えてみれば、みながそう考えるということは、それはちっとも個性的と言えぬのであって、むしろ、こんな没個性的な選択はないとも言え、こうして、個性的であることを目指して没個性的な選択をついしてしまうというのは、まったくもって皮肉な現象であるといえ、…(「ロックの泥水」より)
個性、ってなんだろう…。
私は個性的な人間になりたいと思っている。
でも私の個性ってどこにあるのかなあ。。。
人とちがうことをしたい、と
わざとはずれたようなことをしてみたりして
これっていったい何なんだろう、
何やってるんだろう、と急に冷静になるときがある。
それでもあきらめることができない個性。
「私は平凡な人間で、個性なんてない」とあきらめてしまったら
すすめなくなっちゃう気がする。私の場合。
どんどんやろう、悪あがき。

「地獄のボランティア」もよかったなあ。
ボランティアってそもそも何だっけ、というところに戻って考えてみた。






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