2006年12月5日火曜日

この街もあの街も物語になる火曜日2


まだ東京。

夜遅く、友達に会った。
小学生のときに転校していった友達。
そのあとまったく会っていなかった。
つまり約10年ぶりの再会。

どうしてそんな再会ができたかというと
たまたまネット(某巨大SNS内)で彼女が私を見つけてくれたのがはじまり。
それから連絡をとるようになった。ごく最近のこと。
ネットってすごいな、SNSってすごいな、と思う。
運命さえ変えちゃう。といっても過言ではなかろう。なかろう。
再会できてうれしい。

10年は長い。
私は中学高校大学と、私の毎日をすごしてきた。
そのあいだ彼女も、違う街で私の知らない人たちに囲まれて
同じだけの毎日を重ねてきたのだ。
会う直前になって急にどきどきしてきた。
彼女の家に向かう電車で、バスで、窓に映った自分を何回もみた。
今の私にがっかりしないかな。
何をしゃべればいいだろうか。ぐるぐるぐる。
でも、そんな気持ち、すっとほどけてしまった。
バス停に迎えにきてくれた彼女の姿をみただけで、安心感で満たされた。
目の前にした瞬間、不思議なくらいにするするしゃべれた。
お互いに中身はちっとも変わってないように思えた。
とりつくろうことなんて何もないって気がした。
小学生のときのままのキョリで話ができた。
こういうとき「10年分の空白がイッキに埋まった」なんていうんだろうけど
そうじゃない。きっとずっと、どこかでつながっていたんだと思う。
ほんとにそう思う。

絵を描くのが上手なメガネ少女は
デザインの仕事をする眼鏡美人へと変貌を遂げていた。

お家に泊めてもらった。
友達の住む街は、東京のまたあたらしい一面をみせてくれた。
大きな駅、(気が遠くなるくらい)たくさんの人の住まいが連続している。
部屋や車や自転車や…いろんなものが規則正しく集まっている。
それらはあまりに巨大で、現実味がなかった。私はただ「近未来的!」と思った。
かわいい犬の熱烈歓迎を受け、おいしい夜ごはんをごちそうになった。
彼女の部屋は、キャンバスや美術の立体作品でいっぱいで
みせてもらいながら、私はひそかに彼女の10年に思い浮かべてみた。
それはとてもすてきなことだった。
すごい部屋(ゲストルームというらしい)に、いっしょに泊まった。
ケーキをごちそうになった。
ふとんの上に寝そべって、ふたりで小学校の卒業アルバムをひらいた。
1ページごとにはしゃいだ。修学旅行みたいだった。
記憶がいっぺんに戻ってきて、話すことが尽きなかった。
大笑いの波が何度も起こった。

ハミングライフ、ハミングライフ、イン トウキョウ。

*********************************
その卒業アルバム。
自分の作文を読んでショックだった。なんてばかなんだろう、と。
いちばんショックだったのは、
今と文章の書き方があんまり変わっていないってことかな。(あれ…10年って・・・。)
ちなみにタイトルは「ピアノ」。
まったくピアノの弾けない私が
音楽の合奏の時間に、ピアノ担当になってしまった
という悲劇的な内容だった。
作文のさいごに
「おしえてくれた○○さん、○○さん、そしてクラスのみんなありがとう」
っていうのが、ついでみたいにあったけど
じつはそれがいちばん書きたかったことなんだろ、と思う10年後の私。
ほんとうはピアノの話なんてどうでもよかったんじゃないかな。
…絶対そうだ。自分のことだからわかる。
ひとに気持ちを伝えるのがへたな小学生だな。
…まあ今もあんまり変わってないけど。

ほかにもいろいろおもしろかったな。
思い出したことがいくつかあった。
引っ越していった彼女に「山口新聞つくって送るけー」などと言っておきながら
そんなもの一度も送らなかったこと。いいかげんすぎる。
うねうねうねった丸文字を書いていたこと。
自画像らしきキャラクタが
バッドばつ丸(というサンリオキャラクター。当時流行った)に激似だったこと。
将来の夢は喫茶店の店長だったこと。
「山口のこと忘れるなよコノヤロー」と全然ガラにもないコメントをのこしていること。
コノヤローって、猪木かよ。よっぽど忘れてほしくなかったんだな…。






0 件のコメント:

コメントを投稿