2006年10月7日土曜日

変わりたい月曜日


家にいた。

やることがたくさんあるのに、ちっともすすまない。
夏休みの宿題みたいにして「これをやれ」と
誰かにだしてもらわないと何もできないのか私は。

『国境の南、太陽の西』/村上春樹を読み終えた。

ところどころに「僕」と自分との不安の重なるところがあって
小説におもしろさを感じながらも
ちょっと、痛かった。
私はまだそれほど長い人生を生きてきたわけではないけれど
それでも、わかるところはあった。


以下、すきなところ。
(ほんとはもっとたくさん抜きたいところがあったんだけど一ヶ所だけにした。
ページにしるしをつけたところがたくさんある。
とてもいい話だから、小説ぜんぶ、ぜひ読んでほしい。)

・・・
僕はこれまでの人生で、いつもなんとか別な自分になろうとしていたような気がする。僕はいつもどこか新しい場所に行って、新しい生活を手に入れて、そこで新しい人格を身に付けようとしていたように思う。僕は今までに何度もそれを繰り返してきた。それはある意味では成長だったし、ある意味ではペルソナの交換のようなものだった。でもいずれにせよ、僕は違う自分になることによって、それまでの自分が抱えていた何かから解放されたいと思っていたんだ。僕は本当に、真剣に、それを求めていたし、努力さえすればそれはいつか可能になるはずだと信じていた。でも結局のところ、僕はどこにもたどり着けなかったんだと思う。僕はどこまでいっても僕でしかなかった。僕が抱えていた欠落は、どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなかった。どれだけまわりの風景が変化しても、人々の語りかける声の響きがどれだけ変化しても、僕はひとりの不完全な人間にしか過ぎなかった。僕の中にはどこまでも同じ致命的な欠落があって、その欠落は僕に激しい飢えと渇きをもたらしたんだ。僕はずっとその飢えと渇きに苛まれてきたし、おそらくこれからも同じように苛まれていくだろうと思う。ある意味においては、その欠落そのものが僕自身だからだよ。僕にはそれがわかるんだ。
・・・
(文庫版P.291L.10〜)


私は大学に入って(静岡にきて)何か変われただろうか。
就職して(関東のどこかにいって)変われるんだろうか。

何より、いま、変わりたい。
抱えすぎている‘欠落’、を自分からひきはがしてしまいたい。
その‘欠落’が自分自身ならば、その自分が変わるしかないな。






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