2007年1月3日水曜日

思い出せない水曜日


朝から山口へ。
おばあちゃんの家に行った。

おじいちゃんはますます元気だった。
政治とか経済の話はさっぱりだったけど
あほな孫だとがっかりさせてはいけないので
うん、うん、そうだね、と分かっているふりをした。
(ばれてたかもしれんけどね。)

おばあちゃんとあんなにたくさん話したのは初めてだったかもしれない。
「結婚はしなきゃだめよ」とか
「はるちゃんが結婚するまでは死ねない」とか言われた。
そういうのはいいや、と思っていたのをみすかされたのだろうか…。
おばあちゃんおそるべし。
誰に言われてもに気にならなかったけど
おばあちゃんに語られるとちょっと…
せんといけんかな、という気持ちにもなった。ちょっとね。
おばあちゃんおそるべし。

ところで「もうあとがない」とか冗談言っているうちは、ばりばりに元気なもんだよね。


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夜、小倉で高校のクラス会に参加した。
自分では、わりと定期的に参加していたつもりだったけど
「ひさしぶりだねー」と言われたのでどうやら久しぶりだったらしい。
正直もう、あんまりおぼえていない。

浜松での4年間は短いようでいて
記憶を保っておくには長すぎたのかもしれない。
私の記憶は上書き式。
この先もこうやってわすれていけるかな?(そうすればさみしくない)

クラス会。
名前はだいたい分かるにしても
そのひとと自分がどのくらい仲が良かったか
自分がそのひとのことをなんて呼んでいたか、というところまで思い出せなかった。
とりあえず近くに座っていた男子(という響きのなつかしさよ)と
「いま何してるの?」「どこにいるの?」という同窓会っぽい話をする。
ひととおり話したあとで
「教室ではしゃべったことなかったよね」と言われた。…そうだっけ。
高校のとき私はどういうポジションにいたのか
どんなひとだったのか、そういう自分のことがいちばん思い出せないかもしれない。

もちろんおぼえている子はいる。(あたりまえだ…)
クラス会に行く前にメールで
「話したいことがたくさんあるよ」「会って話ききたいよ」
と言い合っていたのに、いざ会うと久しぶりすぎて
どういう話からはじめていいのやら、ちょっと困ってしまった。
高校で毎日会っていたときは
「なに話そうかな」なんて考えたこともなかった。
あの頃、どんなことを話していたっけ。そんなに話すことがあったのがふしぎ。

もう就職した子も何人かいて、話をきいた。とりあえずしんどそう。
「はるちゃんもぜったい泣くよ」と言われた。…おそろしい。

地元から都市部に出た子のひとりが
「もう(地元に)帰れない、たのしいもん」と言っていて
木綿のハンカチーフみたいだなあ、と少しさみしくなった。
私も地元を出たくせに。

担任の先生も来てくれていた。
生徒のほうは卒業してどんどん変わっていくけど、
先生は老けないなあ、と思った。
少なくとも私から見ている分には。
先生はいつまでも先生だからかな。

なんとなく帰りたくなくて、二次会にまで行ってしまった。
深夜までのんだ。
でもなんとなく、この街でお酒をのんだり夜遅くに出歩いたりするのは違和感がある。
そういうことをしないで過ごした時間が長すぎたからかもしれない。






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