2011年3月16日水曜日

ゆれたあとのこと

ゆれてから、いろいろなものが変わってしまった。
震源地からうんと離れた神奈川県にいるのだけれど、
あの地震はほんとうにこわかった。今でもこわい。
 
地元から出てきてもう8年くらいになる。
ひとり暮らししててさみしいとかこわいとか思ったこと、ほとんどなかった。
地震が起きてからはどうも気持ちが落ち着かない。
これまでわたしはどうやって過ごしてきたんだろう。
ひとりがいやだ。とくに夜。暗くなるたびに。

昼間に生あくびをくり返す自分に気がついた。
なんだかさあ、ひどく眠いんだよ。
脳みそが自らをシャットダウンしようと
勝手に信号を送っているようにも思える。

地震のことを考えると自然になみだが出る。
毎日、新聞の黒ベタ白ヌキゴシック体の見出しが並ぶ。
ニュース映像で見る現実を受け止めきれない。

あたまの中がふわふわとしている。
新聞やネットやテレビでふれている世界と
いま目の前にある世界とが遠くなる。
現実感、当事者意識が欠けている。

自分のために、ちょっと日記をつける。
書くことで気持ちを落ち着ける。
わたしはここにいるんだよ、ねえわたしきいていますか。
宙に浮いた自分を世界の上にうまく落ち着かせる。

3月11日(金)
ちょうど会社の中にいるときだった。14時46分。
ホワイトボードに行き先を書いていたら
電話に出ているひとが「ゆれてる」「地震?」と言うのがきこえた。
たしかに地面がゆれている。
バチッと照明が落ちた。
ほかのひとも「ゆれてるゆれてる」「強いよ」「長い」
「危ない」「出よう」とさわぎだして
わたしもいっしょにスリッパのまま外の駐車場に出た。
外でもしばらくゆれて、おさまったあとも
心臓が高鳴ったままでその場に立っていた。
ちょうど戻った車から出てきた後輩が「宮城震度7だって」。
わたしのいた秦野市は震度4くらいだったらしい。
何が起こったのか分からないまま仕事に戻る。
車で会社を出たら近くの信号が消えていて
交差点で車が少し迷っていた。
駅のそばの踏み切りで待っていたらもう一度、ゆれ。
車の中にいてもはっきりわかった。
道路に水があふれているところも見た。
水道管が破裂しているらしかった。
カーラジオをききながら、事態を少しずつ把握。
「無事ですか」「大丈夫?」と
友達や家族からメールとかTwitterのDMとか送られてきた。
会社に電話したら、つながらなかった。
しかたないので戻ってみたら
非常事態なので19時くらいにもう帰ることになった。
Twitterで電車がとまっていて帰れず歩いている友達が大勢いることを知った。
多少混んだ道、車で家まで帰った。
部屋の中は姿見が倒れて
高いところに飾っていた雑貨が落ちていたくらいで
とくに変化はなかった。
テレビをつけてみて。夜のニュース映像に絶句。宮城。
たいへんなことになってしまった。
大津波警報が出ていた。
グーグルマップで自宅は海から3kmくらいだと把握。
スカイプで話して今日起こったことを振り返る。余震もこわくて眠りが浅かった。

3月12日(土)
いつもどおり出勤。
まだ余震も心配だし備えておいたほうがよかろうと
ホームセンターに懐中電灯を買いに行ったら、品切れ。
ドラッグストアにもなかった。
ほかの棚を見てもいろんなものがなくて
なんかへんだな、どうしちゃったのかな、と思う。
まだ地震の現実味うすい。停電のうわさ。
何事もなく普通に仕事をして一日が終わった。
コンビニからものがなくなりつつあった。
夜帰宅してからはまた、新たなニュース映像に絶句する。
スカイプで話してお風呂に水をためてから眠りについた。

3月13日(日)
家から一歩も外に出なかった。
テレビやインターネットで地震の報道をみる以外は
ほとんど寝ていた。
新しい数字をきいて
難解な原発の状況をきいて調べて
同じ映像をくり返しみて
頭を抱えていた。
眠っても眠ってもまた眠くなった。
深夜に職場の先輩から、明日停電になるらしいから
仕事のあれこれをどうしようかという旨の電話がかかってきて
ああ、もうこんなときにやめてください、と思う。
こんなときだからこその連絡なのに。
泣きたくなる。少し泣いた。
スカイプで話して少し落ち着いた。

3月14日(月)
朝はきもち早めに家を出た。
道がところどころめちゃくちゃに混み合っていて
会社に着くまでにたっぷり2時間かかってしまった。大遅刻。
ガソリンスタンドに並ぶ車の列による渋滞。
ほかの先輩に聞いてみたらひとりは6時に家を出たと言っていた。
そこまで想像力なかったわたし。
棚がからっぽのコンビニで店員さんに「たいへんですね」と言ったら
「申し訳ございません。今全力で対応しておりますので」
「申し訳ございません」とくり返し謝られた。目が充血している。
いや、そんなつもりでは…。
仕事中も渋滞に道を阻まれる。
おかしいなあ進まないなあと待っていたら
親切なおじさんが歩いてやってきて窓から
「この先にガソリンスタンドがあるからその渋滞だよ。
向こう側に行きたいならぬかしたほうがいいよ」とおしえてくれた。
そしたらそのおじさんに向けて後ろからファーッ!とクラクションが。
トラックがすごいスピードで走っていった。
みんな気持ちがささくれだっている。
なんやかやで仕事にも地震の影響が押し寄せてきた。
スカイプで話した。
わたしがいま目の前でふれていることと
世界で起こっていることとのあいだに
大きな隔たりを感じた。


3月15日(火)
朝は少しだけ混んでいた。
いよいよガソリンがなくなってきてエンプティランプもついたから
意を決してガソリンスタンドへ。
道沿いにずうっと続く車の列を追って最後尾についてから
じわじわ進んでようやく入れられた。
顔見知りのスタンドのひとに「どのくらいかかりました?」ときかれて
「1時間半くらいです」とこたえたら「はやいですね」と言われて驚いた。
3時間くらい待つひともいるらしい。
普通に仕事をして家に帰った。

そしてさっきの地震22:31。小田原市は震度5だったらしい。震源地近い。
ひとりで家にいて、すごくゆれてこわかった。
心臓がどっどっどっ、としばらく大きく鳴っていた。
そのあとも何回かゆれた。
こわくて不安で気分がわるくなってしまった。

胸がざわざわする。
いやだな。こわいな。はやく終わらないかなこういうの。

4 件のコメント:

  1. 徒歩帰宅した1人ですw

    相変わらず電車はダイヤどおりじゃないし、電車に乗るまではそれなりの距離を歩かなきゃだし、超満員だし、停電もあるし、物資もないし、余震も続いてるし・・・って状況だけど、ガンバろ、超がんばろう。もう少しできっと終わるよ、大丈夫だよ・・・と信じて。

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  2. >Oくん
    おつかれさまです。
    都心は交通がほんとに大変だろうね><
    ひとが多いし!
    あと余震こわいよね。

    うん、大丈夫。超がんばろう!

    ちなみにこのブログにしてから初コメントだよ!
    さみしかったよ!(笑)
    ありがとう!!!

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  3. あれ?そだっけ?????
    しつれーしました。これからもちょくちょくコメしますw

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  4. >Oくん
    いや、そうじゃなくてw
    すまん、コメント強要じゃないおww

    あのね、このブログ、ちょっと前までコメント設定を匿名で受けない設定(オープンIDの入力必須)になってて気づかなかったんだよ。
    だからこのブログにコメントを初めてくれたひとがOくんなんだよ!

    これからもなまあたたかい目でみまもってください。

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