みられているひとよりも
みているひとのほうがつよいの?
高校の国語の時間
「だれかミロのヴィーナスの腕の続き、を黒板に描いてみてください。
自由に。想像でいいから」
と先生が言った。
そういうのが出てくる評論を読んだときだったと思う。
誰も手をあげず、わたしがあてられ
とくに抵抗なく前に出た。
みんなに背を向けて黒板にチョークで絵を描いていると
背中の後ろのほうからクスクスクスクスクスクス、笑い声がきこえてきた。
なにがそんなにおかしいのだろうか
思いつつも気づかない、気にしていないふりをして描き続けた。
と、そこで
先生が激怒。
客体は主体よりもつよいんだ、
作家のナントカはこう言っている、なんちゃらかんちゃら、
と興奮気味に早口で話しはじめた。よく分からなかった。
分からなかったけど
わたしをフォローしているんだ、というのはなんとなく分かった。
それがはずかしくてイヤだった。
勝手にわたしをよわいひとにしないでください先生。
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そのときのことを、ふと思い出した。
みられているひと、みているひと。
未だにどちらがつよいかなんて知らないけど
みられるのはこわい。
なのにわたしはもう一度、
黒板の前に出たいと思っている。
っていう日記を昨日の夜、ほとんど寝ながら書いていた。
何でいま、急にこんなことを思い出したんだろう。
結局何が言いたいんだろう。
自分のことなのに分からない。
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